2019/01/02

コースガイド① 琵琶湖第1疏水 取水口~第1トンネル東口

📗 琵琶湖疏水ウォーキングコースとは

🏃疏水取水口(琵琶湖)

京阪電車(石山坂本線)の三井寺駅で下りると、琵琶湖疏水(第1疏水)は目の前です。疏水の水の流れと逆方向に3分ほど進むと、琵琶湖畔の取水口に着きます。ウォーキングコースのスタート地点は、国道161号にかかる「新三保ヶ崎橋です。ここから「第1トンネル東口」までは「大津運河」と呼ばれ、コースは約600m、徒歩10分(目安)です。

琵琶湖第1疏水取水口

昭和35年(1960年)に完成した「新三保ヶ崎橋」には、「第一疏水」と書かれた金属板が取り付けられています。橋の端から古びた階段で埠頭に下りることができますが、湖岸まで歩くために整備されたものではないようです。

上の地図を見て分かるとおり、第1疏水取水口の両側に突堤が築かれています。突堤は、堆積した土砂が運河をふさいでしまわないように、大津運河や第1トンネルの掘削の岩屑や土砂を利用して湖面を埋め立てて造られました。この両側の突堤は、「京都築地」と名付けられ、舟の荷物の上げ下ろしや乗客の乗り降りにも使われていました。



下の写真は、「新三保ヶ崎橋」から見た琵琶湖側の景色です。疏水取水口の左側の湖岸に浮見堂のように突き出た水上の建物は、国土交通省が設置している三保ヶ崎水位観測所(量水計)です。柵で囲まれているので、近づくことはできません。

ちなみに琵琶湖の水位は、片山(長浜市)、彦根(彦根市)、大溝(高島市)、堅田、三保ヶ崎(大津市)の水位観測所に設置された水位計の測定値の平均値とされています。(出典:琵琶湖河川事務所「瀬田川洗堰操作規則」)



🏃琵琶湖第一疏水揚水機場

「新三保ヶ崎橋」の琵琶湖と反対側にまわると、2階建ての白い洋館の「琵琶湖第一疏水揚水機場」が見えます。昭和28年(1953年)に建設された国土交通省の琵琶湖河川事務所が管理する施設です。琵琶湖の水位が低くなったときに取水量の不足分を確保するため、水位がマイナス40cmになったときにポンプ揚水ができるようにされています。


「新三保ヶ崎橋」から「琵琶湖第一疏水揚水機場」を見たら、第1疏水に沿って歩きます。道幅が狭い道ですが、国道161号へ抜ける車やバイクの交通量が多いので、十分気を付けてください。


下の写真は、一つ目の橋「大津絵橋」から見た「琵琶湖第一疏水揚水機場」です。上の写真の裏側にあたります。平成4年に竣工した大津絵橋は、琵琶湖疏水に対して斜めに架かっていて、大津生まれの民画「大津絵」があしらってあります。大津絵橋の煉瓦造りの橋台は、昭和44年まで浜大津駅・近江今津駅間を走っていた江若鉄道(こうじゃくてつどう)の鉄橋を支えていたものです。



大津絵橋のすぐそばに「三保ヶ崎橋」が架かっています。「三保ヶ崎橋」は、この先にある北国橋と鹿関橋と同じく琵琶湖第1疏水が開業した明治23年(1890年)に架けられたものです。



下の写真は、「三保ヶ崎橋」から見た琵琶湖第1疏水です。第1疏水は、毎年冬期に清掃のため停水され、疏水路内の土砂の浚渫(しゅんせつ)と清掃作業が行われています。第2疏水は、水道水源として年中取水しているので、停水されません。手前に見えている鉄橋は、京阪電車の鉄橋です。疏水の右岸は舗装されていませんが、歩くことができます。



🏃大津閘門(おおつこうもん)

京阪電車の三井寺駅を通過すると、間もなくして「北国橋(ほっこくばし)」に着きます。「北国橋」は、大津宿・札の辻(大津市)から敦賀宿(敦賀市)に通じる旧北国海道(後に西近江路)が通っていました。「北国橋」からは、「大津閘門」が見えます。閘門とは、水位差のある水面間で船を通航させるために水量を調節するための水門です。

「大津閘門」は、明治20年に起工され、明治22年に完成しました。閘門主要部の構造は煉瓦造りで、南側に船を通行させる水門が設けられ、北側には堰門(制水門)が設けられています。(出典:滋賀県文化財保護協会)「大津閘門」は、現在も動かせる日本人だけで作った最古の閘門で、明治23年(1890年)の通水式には、明治天皇も出席されました。



琵琶湖疏水ができる以前は、京都と大津の間の輸送は人馬に頼っており、大規模な輸送を行うことは困難でした。疏水工事によって水路を開き、舟運による輸送を可能にすることが、京都を発展させる道であると期待されていました。大津からの下りは米、砂利、薪炭、木材、煉瓦など、伏見からの上りは薪炭などでした。(出典:「琵琶湖疏水の100年」)

疏水沿いには、約2,000本の桜が植えられているので、春は桜並木を楽しむことができます。花見の時期は、桜の名所として知られる園城寺(三井寺)を訪れる観光客でにぎわいます。春は境内に1000本以上の桜が咲き乱れる園城寺(三井寺)と琵琶湖疏水がライトアップされます。鉄柵にあしらわれた絵も目を楽しませてくれます。



「北国橋」からほどなくして石造りの立派な「鹿関橋(かせきばし)」に着きます。ここの現在の町名は三井寺町ですが、他の町と合わせて三井寺町として再編されるまでは鹿関町でした。橋のたもとに旧鹿関町を示す碑が立っています。

「鹿関橋」から「第1トンネル東口」が見えます。桜の頃は特に素晴らしく、カメラマンが押し寄せる絶好の写真撮影スポットになっています。橋は車道ですので、十分気を付けてください。「鹿関橋」から「第1トンネル東口」までは緩やかな坂道になっています。ほどなくして「第1トンネル東口」に着きます。



ロシア帝国の最後の皇帝ニコライ2世(当時22歳)は、皇太子時代(26歳で皇帝に即位)にこの地を訪れています。明治24年(1891年)に日本を訪問していたニコライは、5月11日に警備にあたっていた警察官の津田三蔵に右耳上部を斬りつけられ負傷しました(大津事件)。

その日の午前中、ニコライは園城寺(三井寺)を訪ね、正法寺(観音堂)などを見物しています。その後、人力車で琵琶湖疏水を観覧しながら下り、三保ヶ崎の築地から小汽船の保安丸に乗船して唐崎に移動しています。(出典:「露国皇太子ニコライ殿下希臘皇子ジョーヂ殿下歓迎詳知」)事件の翌日早朝、明治天皇は、ニコライ皇太子のお見舞いのため京都へ緊急行幸し、13日に面会しています。

🏃第1トンネル東口

「第1トンネル東口」洞門の扁額には、初代内閣総理大臣の「伊藤博文」筆の「氣象萬千(きしょうばんせん)」という文字が刻まれています。「氣象萬千」は、千変万化する氣象と風景の変化はすばらしいという意味です。宋・岳陽樓記の一節だそうです。

さらに、扁額の上部には゛SAKURO TANABE DR ENG ENGINEER-IN-CHIEF WORK COMMENCED AUGUST  1885 COMPLETED APRIL 1890゛の文字が刻まれています。和訳は、「主任技師の田邉朔朗(たなべ さくろう)工学博士によって、1885年8月~1890年4月の工事で完成したものである。」です。(出典:京都市水道局の案内板)



上の写真は、12月中旬に撮影したものです。滋賀県の紅葉のピークは11月下旬ですので、紅葉のピークが過ぎてからもしばらくは名残の紅葉が楽しめるようです。ここから疏水は、長等山をトンネルで抜けます。第1トンネルは、当時国内で最長のものでした。

ここから園城寺(三井寺)はすぐですが、境内がとても広いので、拝観の所要時間は50分から60分と案内されています。園城寺(三井寺)は、1300年以上の歴史をもつ名刹で、国宝の金堂をはじめ、西国第14番札所の観音堂、仁王門、三重塔など見所が多いので、じっくり時間をかけて観たいところです。

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